- 蕎麦と言えば、信州(長野県)を思い浮かべる方も多いと思われますが、山形もまた、江戸時代からの歴史を持つ蕎麦の名産地でありました。
それは、山形と信州が、因縁浅からぬ関係だったからかもしれません。
信州高遠藩の藩主であった保科正之(三代将軍家光の異母弟)は、寛永13年(1636年)より、山形最上藩の藩主となりました。
当時高遠藩は3万石。かたや、最上藩は20万石。およそ7倍の石高増という大栄転です。当然、それに見合うだけの家臣や職人も引き連れ、その中に腕利きの蕎麦職人も含まれていたことが推測できます。 - 辻蕎麦(つじそば) 辻そば 通販 お歳暮 お中元 年越し蕎麦 手打ち蕎麦 - 保科正之公
また、元禄2年(1689年)6月4日松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、羽黒山で蕎麦切りをもてなされた事が曾良随行日記に記されています。この他、紅花大尽であった鈴木清風の地元尾花沢周辺の旧家の古文書にも、蕎麦切りをふるまったという多くの史実が残されております。
このことからも山形では、すでに蕎麦切りの技法が伝わっていたことがうかがえます。
一口に山形の蕎麦と言ってもいろいろございます。地域の生活に根ざし、蕎麦の原点とも言われる野趣豊かな山方蕎麦から、素朴な田舎蕎麦、粋で洗練された町方蕎麦まで、日本の蕎麦の懐の深さを一望のもとに展観できるのが「やまがたの蕎麦」の特長です。
言わば、日本の蕎麦の縮図であり、山形に来れば「どんな蕎麦でも食べられ、どんな蕎麦でも手に入れることが出来る」と言われています。
まさに山形は、「蕎麦王国」と呼ばれるのにふさわしい所です。
板蕎麦に代表される田舎蕎麦、やぶ系、更科系、山菜そばや肉そば…見た目も味もさまざまです。
現在山形には、おいしい蕎麦を求めて県内外から多くのお客様が訪れていますが、食べ歩けば好みの蕎麦に必ず出会えます。
また、どこに行ってもまず「はずれ」がないと言われております。
- それは、山形を代表する老舗をはじめとした蕎麦店が、昔からこだわりを持ち、それぞれの味を守ってきたからに他なりません。
そして、良質な玄蕎麦ができる風土とそれを探求し続ける生産者、蕎麦に携わる人々が今も密接につながっているからなのです。
このことはとりもなおさずお客様を精一杯のおもてなしで迎えんとする山形人の気質がそうさせているのかもしれません。 - 辻蕎麦(つじそば) 辻そば 通販 お歳暮 お中元 年越し蕎麦 手打ち蕎麦 - 将軍家献上そばの寒中挽抜そば
辻蕎麦(つじそば) 辻そば 通販 お歳暮 お中元 年越し蕎麦 手打ち蕎麦 - 最上川もうひとつ、とりわけ芭蕉の句にも詠われ、日本三大急流のひとつにも数えられている母なる川・最上川の果たす役割は絶大です。
県内全域を悠然と流れ、土地を潤し、米や果物といった多くの恵みを与えてくれるのですが、特筆すべきは、川辺での霧の渡り、昼夜の寒暖の差という自然現象。それが美味しい蕎麦栽培の条件と一致しているのです。
こうした地域性を活かし、蕎麦によるまちおこしをと、県内には多くの蕎麦街道が誕生し、山形の蕎麦をPRしています。
また、職人や蕎麦を愛する人たちでつくる蕎麦の会などが親子蕎麦打ち教室を催すなどして、蕎麦文化の伝承にも努めています。
このように、先人からの技や思いを大切に受け継いでいる地域だからこそ、山形の蕎麦は旨いと愛される所以なのかと思います。